基本情報
Profile
- 氏名:
河田 一晃(かわだ かずあき) - 生年月日:
1963年4月18日 - 出身:
大阪府生まれ。
広島・名古屋を経て、高校時に百合ヶ丘へ移住 - 趣味:
映画鑑賞、特撮フィギュア収集、旅行 - 経歴:
早稲田大学卒業後、会計系の実務経験を積む。
心身の不調を経て、カイロプラクティック専門学院で基礎から学ぶ。
直営サロンで臨床を重ね、2011年 ゆりがおか整体院 を開業。
子供時代
『小さな勇気のはじまり』
Childhood – The Beginning of Small Courage
私は大阪で生まれ、父の転勤によって広島や名古屋へと移り住みました。幼少期から何度も転校を経験しましたが、不思議と環境の変化に戸惑うことはありませんでした。新しい学校でも、自然に友達をつくり、すぐに輪に溶け込むことができました。引っ越しを繰り返しながらも、友人に恵まれた日々を過ごしていました。





そんな子供時代を振り返ると、私には一貫して三つの共通項がありました。
- 人見知りをしない —— 新しい環境でも積極的に人に声をかけ、初日から友達をつくることができました。
- 正義感が強い —— 不正やいじめを見過ごせず「それは違う」と立ち上がる性格でした。
- 自分の気持ちに素直 —— 会いたい幼稚園の先生がいると、一人でも会いに行ってしまうほど気持ちに正直でした。
これらの特徴は小さな出来事の積み重ねではありましたが、私という人間を形づくる確かな軸となりました。環境に飛び込み、人とつながり、理不尽に対して声をあげ、自分の心に正直に行動する——そうした姿勢は、大人になった今も私の根っこに流れ続けています。
学生・社会人時代
『試練との遭遇』
Student & Early Career – Encounter with Trials

大学在学中、同級生の多くが就職活動に励む中で、私はどうしても自分が進みたい道を見つけられませんでした。将来が定まらないまま安易に就職するよりも、自分の力で道を切り開きたい——そう考え、あえて就職を選ばず、国家資格の取得に挑戦することにしました。
昼は働いて学費や生活費を稼ぎ、夜は専門学校に通って勉強を重ねました。疲労で机に突っ伏しそうになる日もありましたが、それでも講義に耳を傾け、試験問題に向かい続けました。判定は A まで到達し「あと一歩」というところまで進みましたが、最後の壁を越えることはできず、合格には至りませんでした。
その後は会計の実務へ。数字や書類に囲まれる緊張感のある日々にやりがいもありましたが、現場では思いもよらぬ試練が待っていました。配属ごとに違う上司のもとで働きながら、理不尽な扱いやパワハラに近い対応を受けることが重なり、心は次第にすり減っていきました。
やがて体調を崩し、うつを発症。朝目が覚めても布団から起き上がれず、改札を前に立ち尽くす日もありました。
「……このままの生活を続けていいのだろうか?」という問いが繰り返し浮かぶようになりました。
この時期、私は「心の状態が、身体に強く影響している」ということを身をもって理解しました。心が弱れば身体も崩れる。そして、身体が不調になれば心もまた沈んでいく。その悪循環を経験したことが、のちに自分の道を大きく変える契機となったのです。
整体との出会い
『心と身体はつながっている』
Encounter with Chiropractic – Mind and Body are Connected
社会人として心身の限界を経験した私は「このままではいけない」と感じ、心と身体を根本から見直す道を選びました。そこで入学したのが、カイロプラクティックの専門学院でした。ここから、昼は学院直営のサロンで勤務し、夜は学院で学ぶという二重生活が始まりました。
学院の規律は非常に厳しく、授業中の私語や居眠りは一切許されませんでした。違反すれば即退学。日中の仕事で疲れ果てていても、夜の授業では緊張感を持って臨むしかありません。眠気と戦いながら必死にノートを取り、理解が追いつかない部分は繰り返し学び直しました。
日々の臨床では、実際にクライアントと向き合い、その声に耳を傾けながら施術にあたりました。夜の授業で学んだ解剖学や病理学の知識を翌日の現場で確かめ、昼に体験した気づきを夜に理論として整理する。この往復を重ねることで、知識と実践の両輪が噛み合い、理解は着実に深まっていきました。
その過程で私ははっきりと実感しました。
『心と身体はつながっている』
単に筋肉や骨格を整えるだけではなく、心の状態が身体の反応に表れ、身体の変化が心のあり方に影響を与える。施術を重ねるたびにその事実を目の当たりにし、この気づきが自分の施術理念の核となっていきました。
独立の決意
『挑戦のはじまり』
Decision for Independence – The Beginning of Challenges
学院を修了し、直営サロンで臨床経験を重ねていた頃、私は次第に葛藤を抱えるようになりました。施術そのものはやりがいがあり、多くの経験を積ませてもらいましたが、組織の運営方針や人事のあり方には納得できないことが多くありました。
特に記憶に残っているのは、人事における不公平さでした。既婚者が優先的に昇進し、独身である私は後回しにされるという状況が続きました。努力や実力とは関係のない基準で扱われることに強い違和感を覚え「このままここで続けていくことは、自分の理想とする働き方につながらない」と考えるようになったのです。
直営の院長就任という選択肢もありました。しかし、最終的な判断や責任を自分で持てない環境である以上、真にクライアントと向き合うことはできないと感じました。やがて私は、自分自身で場をつくり、自分の判断で責任を持つ道を選ぶ決意を固めました。
2011年、百合ヶ丘にゆりがおか整体院を開業しました。資金は自己資金に加えて母の助力を得て工面し、内装や看板は専門業者に依頼しました。準備の段階から道を歩く人の目を引き、興味を持って声をかけられることもありました。オープン初日には、近隣の方がチラシを手に来院してくださり、地域の方々に迎えられるようにしてスタートを切ることができました。

こうして私は、自分の理想と責任を形にするための「自分の場」を手に入れました。
ここから、本当の意味での挑戦が始まったのです。
フィギュアの部屋
『安心できる秘密基地』
The Figure Room – A Haven of Safety
ゆりがおか整体院を開業した当初、院内に並ぶ数多くのフィギュアは計画的に配置されたものではありませんでした。実は、自宅で飼っていた柴犬がコレクションを “おもちゃ” にしてしまうため、守る場所としてサロンに移したのがきっかけでした。
けれども、この偶然の選択が思わぬ効果を生みました。
初めて来院された方は、まず「治療院なのに、なぜフィギュアがこんなに?」と驚きます。けれどその驚きは次第に笑いや会話を誘い、緊張をほぐしてくれます。無機質なベッドだけが並ぶ空間では構えてしまう方も、フィギュアに囲まれることで自然に肩の力を抜けるのです。

フィギュアは単なる趣味や飾りではなく、来院者にとって「心を解き放つキッカケ」になりました。非日常の雰囲気が、治療院としての堅苦しさを取り払い、ここを訪れる人にとっての安心感を育んでいます。
私は今でも、クライアントが施術の前にフィギュアに目を向けて「懐かしい!」と笑顔を見せる瞬間が好きです。その笑顔は施術を受け入れる準備を整え、心を軽くしてくれます。そしてその積み重ねの中で、この整体院は「身体を整える場」であると同時に、誰にとっても『安心できる秘密基地』になっていったのです。
ウルトラマンとの再会
『ヒーローの原点に還る』
Reunion with Ultraman – Returning to the Hero’s Origin
子供の頃、誰もが心にヒーローを宿していたはずです。
幼い私たちに勇気を与え、背中を押してくれたその存在は、人によってさまざまに違っていたでしょう。
私にとって、そのヒーローはウルトラマンでした。
幼い頃、テレビの前で夢中になって観ていた姿は、ただの空想ではなく、心を熱くする象徴でした。
そして時は流れ、整体院を開業する少し前の 2000年頃。私は一体のリアルなウルトラマンフィギュアと出会いました。
その瞬間、胸の奥に眠っていた熱が一気に燃え上がりました。幼い頃の記憶が鮮烈に蘇り、心臓を直に掴まれるような感覚に襲われました。気づけば、ただ「懐かしい」と思うだけでは済まず、次々とフィギュアを手に取り、集め始めていたのです。
それは懐古ではなく、情熱の再燃でした。止めようとしても止まらない——再会によって灯った炎は、収まるどころか燃え広がり、やがて部屋いっぱいに並ぶコレクションへと姿を変えていきました。その熱量の結果こそが、今の整体院を訪れる人々を驚かせる「大量のフィギュア」なのです。

改めて見つめ直すと、ウルトラマンの魅力は単なる勧善懲悪にはありません。怪獣には暴れる理由があり、宇宙人にも地球に現れる必然がある。ウルトラマンは無差別に戦い、倒すのではなく、時には怪獣を平和に暮らせる場所へ移し、宇宙人とは対話を試みる。そこには単純な力による解決ではなく、共生を模索する深いメッセージが込められていました。
彫刻家・成田亨が「混沌(カオス)から秩序(コスモス)を取り戻す象徴」として生み出したウルトラマン。その理念を知ったとき、私は自らの人生と重なりを強く感じました。社会人として混沌に沈んだ日々から、学び直しを経て秩序を取り戻す歩みへ。そこに、ウルトラマンという存在が重なったのです。
誰にとってもヒーローは子供時代の記憶の中にいます。
しかし私の場合、その存在は単なる記憶にとどまらず、再会をきっかけに現実へと甦りました。
ウルトラマンは「ヒーローだったあの頃の自分」を思い出させ、夢へ挑む力を再び呼び覚ましてくれたのです。
国境を越える
『共鳴は世界へと』
Beyond Borders – Resonance to the World
私の人生を振り返ると、子供の頃から異文化に触れる機会がありました。通っていたのは外国人講師による英会話教室。まだうまく言葉が出なくても、身振りや表情で通じ合えることを経験し「言葉が違っても気持ちは伝わる」という感覚を早くから身につけました。
大学時代には、字幕なしで映画を観たいと勉強を続け、旅先で出会った外国の人に日本の文化を伝えることもありました。異文化はいつしか私にとって “特別なもの” ではなく、自然に生活の延長線上にあるものとなっていきました。




その後、大人になってからはフィギュアという趣味を通じて交流の幅がさらに広がりました。SNS をキッカケに、同じウルトラマンや特撮を愛する人たちと繋がり、そこには海外のファンも含まれていました。やりとりを重ねる中で
「日本に行ったらぜひ会いたい」
「整体を受けてみたい」
と言ってくださる方も現れるようになりました。
いま、ゆりがおか整体院には実際に海外から訪れる方もいます。身体が軽くなったという実感や笑顔で「ありがとう」と伝えてくださる瞬間に、国境や文化の違いは意味を持たなくなります。
子供の頃の経験から始まり、大学時代の学びを経て、そして大人になってからのフィギュアを通じた交流。その積み重ねの延長線上に、今の整体院があります。整体は世界共通の体験であり、そしてウルトラマンもまた国境を越えて愛される存在です。ここで両者が交差することで、私自身が歩んできた「国境を越える広がり」が形を持って表れているのです。
現在の想い
『再び飛び立つチカラ』
Present Thoughts – The Power to Fly Again
ゆりがおか整体院を開いてから年月が経ちました。開業当初から変わらず大切にしているのは、ここをただ身体を整える場所にとどめないということです。整体の技術や知識はもちろん必要ですが、それ以上に「人が安心して自分を解き放てる空間」であることを、私は常に意識してきました。
院内に並ぶフィギュアは、その象徴のひとつです。もともとは自宅の柴犬から守るために移したコレクションでしたが、今では来院される方との会話を生み、緊張をやわらげる役割を果たしています。驚きや懐かしさから笑顔が生まれ、そのまま施術へと移ることで、心と身体の両面をより深くゆるめることができるのです。

また、私は施術において「常識にとらわれない」という姿勢を大切にしています。人の身体は十人十色であり、症状の現れ方も一人ひとり違います。マニュアル通りに進めるのではなく、その場で必要な手技を選び取り、柔軟に対応することこそが、目の前の方を本当に楽にする方法だと考えています。
ゆりがおか整体院は、特別な派手さを求める場所ではありません。むしろ「静かに自分を取り戻せる拠点」であることを目指しています。来院される方が日常の喧騒から一歩離れ、心と身体を調和させる時間を過ごせるように。ここで過ごすひとときが、再び飛び立つチカラを養うための休息となるように。
この場が『安心できる秘密基地』として存在し続けること。
それが、私が整体師として、いま最も強く抱いている想いです。
エピローグ
『ヒーローだったあの頃の自分を呼び覚ます』
Epilogue – Awakening the Self Who Was Once a Hero
子供の頃に夢中で観ていたウルトラマン。
社会に出て心身の混沌を経験し、学び直しを経て秩序を取り戻してきた歩み。
そして今、整体院という場で人と向き合う日々。
振り返れば、私の人生の節々には常に「ヒーローの姿」が重なっていました。
混沌から秩序を取り戻すウルトラマンの理念は、私にとってただの物語ではなく、生き方そのものを示す道標となっています。
いま、施術台の前に立つとき、私はいつも思います。
——この方の中にも、必ずヒーローがいる
それは子供の頃に憧れた存在かもしれませんし、心の奥に眠っている「ヒーローだったあの頃の自分」かもしれません。どんな形であれ、その人の中にある光を呼び覚ますこと。それが、整体師としての私の役割です。
ゆりがおか整体院は、ただ身体を整える場所ではありません。
常識を超え、国境をも越えて、誰もが自分の中のヒーローを呼び覚ますための場所なのです。
そして今日も、私はここで施術台に向かいます。
あなたが再び飛び立つ、その瞬間に立ち会うために。
